法 話

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年06月01日

Q、お寺でお葬式ってできるの?

A、以前一度ご案内致しましたが、常照寺では「本堂葬」「新館葬」を勤修することができます。お布施とは別に会場使用料を添えていただくことにはなりますが、本堂お内陣以上のお荘厳(お飾り)はありません。祭壇を組む必要もなく、費用も通常より抑えることができま
す。
 駐車場は約二十台まで。宿泊はできませんが、約三十名ほどでお食事できるお部屋もご用意できます。

 使用可能対象は「常照寺門徒」または「これから門徒になる方」に限らせていただきます。

世のなか安穏なれ

2019年04月24日

 4月1日、新元号「令和」が発表されました。国内では645年の「大化」以降、248番目の元号となるようです。
 出典はこれまでのように中国の古典からではなく、初めて日本の古典から選ばれたことでも話題となりましたね(源流をたどれば、中国の詩文集「文選」に由来するという指摘もあるようですが)。

 「令和」は日本最古の歌集、「万葉集」の「梅花の歌三十二首の序文」に拠るとされ、

 「時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」

現代語で表しますと、

 「時は初春の良き月夜であり、空気は澄み風は和らぎ、梅は美人が鏡の前で白粉を装うように花を開き、蘭は身を飾る衣にまとう香のように薫らせる」

という意味になります。

 天平2(730)年の正月、歌人であり大宰府長官でもあった大伴旅人(おおとものたびと)が大宰府の邸宅(現・福岡県太宰府市)にて開いた宴会の情景を記したもので、梅の開花と春の訪れを喜んだ内容のようです。
 この宴会には三十二人が参会し、それぞれが梅の花にまつわる和歌を詠みました。序は旅人自身が作ったとされていますが、諸説あり作者不明のようです。

 いずれにしても新元号ゆかりの地が福岡というのはどこか嬉しいものですね。

 五月一日より令和元年となります。数年後には新紙幣も発行され、様々なものが変わってゆくのでしょう。目まぐるしく変化してゆく時代の中で、「変わってゆく大切さ」と「変わらない大切さ」を自分自身で見極めて生きてゆかなければなりません。

 どのような時代になってゆくのか、先のことは分かりませんが、世界の平和と、心が少しでも穏やかでいられるような時代を願うばかりです。

  世のなか安穏なれ(『親鸞聖人御消息』より)                        
                      合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年04月01日

Q、お線香は立てないの?

A、禅宗などでは、お線香一本が燃え尽きる時間を座禅の時間を計ることに用いるため、お線香を立てて使いますが、浄土真宗は日本仏教の宗派の中で、唯一寝かせて使います。

 お香は本来香木を炊くことが始まりでした。そこから香木を削った粉(燃香)が用いられるようになり、常香盤という香炉の中の灰に、型を使って溝をつくり、そこに棒状になるよう燃香を敷き詰め、端から燃やすことで長時間燃える工夫がされてきました。
   
 棒状の細いお線香が主流となった今でも、浄土真宗では本来のかたちに倣い、お線香は寝かせて用います。「立てると良くない」ということはありませんが、ご門徒の皆さまにはご自分の宗派の作法を知っておいていただけたらとご紹介させていただきます。

お経は誰のため?

2019年03月01日

 昨年末、以下のような記事がヤフーニュースのヘッドラインや読売新聞夕刊に掲載されました。「経文聴取効果の研究」というもので、東北大学の谷山洋三准教授らが研究、学会にて発表なさったものでした。

 谷山先生は私が修了しました臨床宗教師研修(東北大学大学院実践宗教学寄附講座)を立ち上げた方で、私も実際に指導していただきましたが、研究内容と結果は大まかにはこのようなものでした。

【ペットロスを経験なさって、喪失による悲嘆を抱える方々を二組に分け、片方のグループのみ経文を聴いていただいた。すると経文聴取したグループにはストレス軽減や免疫力の向上という効果がみられた】
 お経を聴くと心が安らぐだけでなく免疫力まで高まるということが科学的に証明されたのです。

 宗派によって勤めるお経は違いますが、お経とは全てお釈迦様が実際にお話なさった内容が書かれています。誰にお話なさったのでしょうか?それは「生きている人」でありました。今生きて、不安や苦しみ悲しみを抱える方々に教えを説いてくださいました。つまりお経とは、「亡くなった人のため、それ以上にこの私のためにお釈迦さまが今まさに語りかけてくださっている」とあじわうことができるのではないでしょうか。

 先日あるご家庭でご法事をお勤めさせていただきました。終わった後、「お経は亡くなった人へ読んでくださっているのですよね?お経を聴いて、亡き人は今どんな想いなのでしょうか?」とのお尋ねがありました。この方はこの方の想う形で今日のご法事を大切になさったのだなぁと感じました。私は「あなたはどう想われましたか?」とお返ししました。お経を聴く、とはそういうことだろうと思います。

 お経は「私の為」です。そして意味は分からずとも、ただ聴くだけでも心と体の健康に確かな効果があるようです。ご門徒の皆さまには、月命日やお盆・お彼岸など、定期的にお経を聴く機会をこれからも大切にしてみてはいかがでしょうか。

 『春彼岸法要』もたくさんの方のお参りをぜひともお待ちしております。    合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2019年02月01日

Q、お仏壇の扉っていつ閉めるの?

A、基本的に閉める必要はありません。行住坐臥、私が歩いている時も止まっている時も、座っている時も横になっている時も、つまりどんな時もこの私のためにはたらきかけて下さっているお方が阿弥陀如来さまです。

 しいて言いますと、お部屋のお掃除をされる時はほこりが入らないよう閉めた方が良いでしょう。

 ぜひ定期的にお仏壇もお掃除なさって、いつも新たな気持ちで手を合わせたいものです。

仏法を聞くことは 安心をいただくこと

2018年12月19日

 来年四月の改元が決まり、いよいよ「平成」最後の大晦日・お正月を迎えようとしています。皆さまにとって平成とはどのような時代だったでしょうか。この三十年の出来事、過ぎ行く日々を改めて振り返った時、皆さまも苦楽様々におありだったことと思います。そんな中、共々に今生かされていることに感謝の思いで手を合わせつつ、新しい年を迎えさせていただきたいものです。
 
 これからどのような時代になるのか、先のことは分かりません。しかし不安多き時代だからこそ、安心できる人生を歩みたいものです。
 超高齢多死社会の現代日本においては、治療すること以上に、避けることのできない生老病死の苦しみを本人や家族がどう受け止めてゆけば良いのか、に今注目が集まっています。最後まで自分らしく心豊かに生きてゆくためにはどうすれば良いのか、その一つの手段は「心の拠り所(安心)」を持っているかどうかだと感じます。

 仏法は亡き人のためだけにあるのではなく、生きている人のためにあります。

 ご門徒の皆さまには来年はぜひ法要に参っていただきお聴聞の年にしていただけたらと願っています。きっと「心の拠り所(安心)」に出遇えるはずです。

 余談になりますが、真宗木辺派にとって来年は大きな節目の年となります。現ご門主第二十二代圓慈上人より、第二十三代顕慈新門様へと法灯が継承され、五月に「門主継職式」が勤められます。
 また門主継職式に合わせて勤修されるのが「大興孝慈上人五十回忌法要」です。孝慈上人とは第二十代門主で、歌人の九条武子さんの兄にあたる方です。孝慈上人は九州に大変ご縁の深い方で、常照寺本堂のお内陣にもその御影をお飾りさせていただいております。本山錦織寺で勤修されるこの孝慈上人の五十回忌法要を私達九州教区の僧侶で勤めさせていただくこととなりました。

 滅多に遇えないご法縁です。お参りしてみたいという方がありましたら、お気軽に常照寺まで日程等お問い合わせください。

 ご門徒の皆さま方には今年も大変お世話になりました。有難うございました。来年も宜しくお願い申し上げます。  合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年12月01日

Q、姓がちがっても納骨できるの?

A、例えば結婚なさって姓が変わっても様々な事情から実家のお墓に入るというケースもあります。「姓が違っても同じ家族なんだから」と理解してくださるご家族もあれば、「お墓や納骨堂は〇〇家のもの。つまり〇〇家の者しか入れないのでは?」と考える方もあるようです。
 
 結論から申しますと、管理者とそのご家族の理解があれば問題はありません。浄土真宗では「亡き方々はどこのお墓やどこの納骨堂に納骨されようと、皆等しく同じ仏さまの世界(お浄土)に生まれておられる」と受けとめてゆきます。生まれる先が同じだからこそ、またお会いすることができます。
 ならば、お墓は誰を納骨でき、誰を納骨できない、と分け隔てする場所ではないのかもしれません。

 しかしながら、自分のお墓に誰でもどうぞという人などおりません。私達が手を合わせたいのは「亡き人々」ではなく「私の大切な人たち」でありましょう。

 大切なのは「家」にこだわり過ぎず、「大切な方々を想う気持ち」なのかもしれませんね。

体の健康 心の健康

2018年11月01日

 昔の方はよく言ったものですね。お彼岸が終わり、酷暑が嘘のように肌寒くなって参りました。慌てて冬物の洋服や布団をひっぱりだされた方も多かったのではないでしょうか。昼夜の気温差も大きい季節です。ご門徒の皆さまにはくれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

 さて、体が健康であってこそ心も健康でいられると最近よく思うようになりました。
 
 つい先日、緩和ケア病棟に傾聴に伺った時「今まで元気だったんですけどねぇ、この2~3年病気や入院ばかり。体のことも気を使いながら粗末には生きてこなかったはずなんですけどね・・。最近は朝起きた時ご飯を食べたいと思うかどうかでその日一日の体調がすぐ分かるんです」とお話してくださった方がありました。私が「体調の優れない日はどんな気持ちになりますか?」とお尋ねしますと、「頑張らなきゃって思えなくなります」と教えてくださいました。「そうですよね・・。体調が良い日は気持ちも前向きになれますか?」とお尋ねしますと「はい」と笑顔で答えてくださいました。

 月忌参りで色々なお宅に伺っても、足腰の痛みや思うようにいかない歯がゆさを抱えながら、それでも頑張って生活しておられる方がたくさんおられます。「痛みさえなかったら、昔のように歩けたら、どこか出かけてみようという気にもなるんでしょうけどね・・」と話してくださいます。体あっての心の健康なのでしょう。

 しかし私はどうかと考えてみます。それなりに体は健康であるにも関わらず、愚痴をこぼすこともあります。些細なことで心に波風が立つこともよくあります。体が健康であっても心が健康でなければ寂しいものです。

 そんな時お寺の法要にて様々な講師の先生方のお話を聞かせていただきますと、自分では気付けない「私の心の中」が映し出され、「これではいけなかった」「お恥ずかしいことでした」と気付かされます。

 『仏法は私の心を映す鏡である』

 ご門徒の皆さまには体の健康にも気を使っていただきながら、お寺の法要にもお参りしていただいて、ぜひ定期的に心を整えてみられませんか?             合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年10月01日

(こちらの内容は8月末にご門徒様宅へ配布致しました寺報9・10月号に掲載したものです)

Q、お彼岸のお供えっておはぎ?ぼたもち?

A,お仏壇のお飾りや作法は、仏教であっても宗派によってさまざまな違いがあります。お盆やお彼岸の季節になりますと、「知っていますか?正しい作法」といった内容のテレビ番組をよく見かけます。しかし浄土真宗とは異なる作法を紹介されることも多いものです。ご門徒の皆さまには、お仏壇のお飾りや作法について疑問をもたれた際は常照寺までお尋ねくださいませ。
 
 さて、おはぎとぼたもちの違いですが、基本的には同じです。秋のお彼岸では季節の花「萩」にちなんで「御萩(おはぎ)」、春のお彼岸では季節の花「牡丹」にちなんで「牡丹餅(ぼたもち)」と呼ばれています。

 今の時代と違い、昔は甘いものが貴重でした。おもちも五穀豊穣、日本の行事には欠かせないものでした。「棚からぼたもち」と幸運の象徴とされてきたことからも、いかに人々の暮らしに根付き、愛されていたのかが分かります。

 お彼岸は他の仏教国にはない日本独自の行事です。春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝がご先祖への感謝へつながり、お彼岸は大切な行事となったのでしょう。

村のまつりは夏のころ ひるまも花火をたきました 秋のまつりはとなり村 日傘のつづく裏みちに 地面(ヂベタ)のしたに棲むひとが 線香花火をたきました あかいあかい曼殊沙華   金子みすゞ 「曼殊沙華(ヒガンバナ)」

2018年09月01日

 酷暑の夏もそろそろ終わりを告げ、早いもので秋のお彼岸を迎えようとしております。皆さま夏の疲れは出ておられませんでしょうか?くれぐれもご自愛くださいませ。

 上記の詩は、彼岸花を地底に住む人の花火に見立てた金子みすゞさんの詩です。お彼岸と言いますと彼岸花。今年もまた季節の訪れを教えてくれることでしょう。

 彼岸花は別名曼殊沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれます。「天上界の花」「赤い」という意味があり、赤い彼岸花はもとは曼殊沙華として日本に伝来してきたのかもしれません。

 曼殊沙華は仏教経典に出てくる言葉です。『妙法蓮華経』(浄土真宗ではお勤めすることはないのですが)というお経に「是時天雨曼陀羅華 摩訶曼陀羅華 曼殊沙華 摩訶曼殊沙華 而散仏上(天は大小の白い蔓陀羅華と、大小の赤い曼珠沙華の四華を、仏様の上に降らせ供養した)」と書かれています。とても尊いお花を表しているのです。

 一方で彼岸花は「毒花」としても知られています。土葬の時代、動物たちに掘り起こされることのないようお墓の周りに植えたり、水田をモグラに荒らされないよう畦道に植えたり、当時の人々は生活のために積極的に植えたのでしょう。

 にもかかわらず、鮮血を思わせる色彩からか「シビトバナ」、持ち帰ると「火事になる」「死人がでる」など根も葉もないことを言う人もあったようです。人はいつの時代も自分の都合で見え方を変えてしまうものなのでしょう。せっかく曼殊沙華という尊い名前があるのですから、仏教的な見方で彼岸花をあじわいたいものです。
 
 彼岸花の花言葉の一つに私の好きな言葉があります。

「また会う日を楽しみに」

 先立った方々を想いお念仏申しながら、「仏さまの世界(浄土)でお会いしましょうね。それまで精一杯生きてゆきます」そんな秋のお彼岸にしたいものですね。
 
 「秋彼岸法要」「門信徒のつどい」「永代経法要」、ぜひお参りお聴聞くださいませ。 合掌
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