法 話

体の健康 心の健康

2018年11月01日

 昔の方はよく言ったものですね。お彼岸が終わり、酷暑が嘘のように肌寒くなって参りました。慌てて冬物の洋服や布団をひっぱりだされた方も多かったのではないでしょうか。昼夜の気温差も大きい季節です。ご門徒の皆さまにはくれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

 さて、体が健康であってこそ心も健康でいられると最近よく思うようになりました。
 
 つい先日、緩和ケア病棟に傾聴に伺った時「今まで元気だったんですけどねぇ、この2~3年病気や入院ばかり。体のことも気を使いながら粗末には生きてこなかったはずなんですけどね・・。最近は朝起きた時ご飯を食べたいと思うかどうかでその日一日の体調がすぐ分かるんです」とお話してくださった方がありました。私が「体調の優れない日はどんな気持ちになりますか?」とお尋ねしますと、「頑張らなきゃって思えなくなります」と教えてくださいました。「そうですよね・・。体調が良い日は気持ちも前向きになれますか?」とお尋ねしますと「はい」と笑顔で答えてくださいました。

 月忌参りで色々なお宅に伺っても、足腰の痛みや思うようにいかない歯がゆさを抱えながら、それでも頑張って生活しておられる方がたくさんおられます。「痛みさえなかったら、昔のように歩けたら、どこか出かけてみようという気にもなるんでしょうけどね・・」と話してくださいます。体あっての心の健康なのでしょう。

 しかし私はどうかと考えてみます。それなりに体は健康であるにも関わらず、愚痴をこぼすこともあります。些細なことで心に波風が立つこともよくあります。体が健康であっても心が健康でなければ寂しいものです。

 そんな時お寺の法要にて様々な講師の先生方のお話を聞かせていただきますと、自分では気付けない「私の心の中」が映し出され、「これではいけなかった」「お恥ずかしいことでした」と気付かされます。

 『仏法は私の心を映す鏡である』

 ご門徒の皆さまには体の健康にも気を使っていただきながら、お寺の法要にもお参りしていただいて、ぜひ定期的に心を整えてみられませんか?             合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年10月01日

(こちらの内容は8月末にご門徒様宅へ配布致しました寺報9・10月号に掲載したものです)

Q、お彼岸のお供えっておはぎ?ぼたもち?

A,お仏壇のお飾りや作法は、仏教であっても宗派によってさまざまな違いがあります。お盆やお彼岸の季節になりますと、「知っていますか?正しい作法」といった内容のテレビ番組をよく見かけます。しかし浄土真宗とは異なる作法を紹介されることも多いものです。ご門徒の皆さまには、お仏壇のお飾りや作法について疑問をもたれた際は常照寺までお尋ねくださいませ。
 
 さて、おはぎとぼたもちの違いですが、基本的には同じです。秋のお彼岸では季節の花「萩」にちなんで「御萩(おはぎ)」、春のお彼岸では季節の花「牡丹」にちなんで「牡丹餅(ぼたもち)」と呼ばれています。

 今の時代と違い、昔は甘いものが貴重でした。おもちも五穀豊穣、日本の行事には欠かせないものでした。「棚からぼたもち」と幸運の象徴とされてきたことからも、いかに人々の暮らしに根付き、愛されていたのかが分かります。

 お彼岸は他の仏教国にはない日本独自の行事です。春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝がご先祖への感謝へつながり、お彼岸は大切な行事となったのでしょう。

村のまつりは夏のころ ひるまも花火をたきました 秋のまつりはとなり村 日傘のつづく裏みちに 地面(ヂベタ)のしたに棲むひとが 線香花火をたきました あかいあかい曼殊沙華   金子みすゞ 「曼殊沙華(ヒガンバナ)」

2018年09月01日

 酷暑の夏もそろそろ終わりを告げ、早いもので秋のお彼岸を迎えようとしております。皆さま夏の疲れは出ておられませんでしょうか?くれぐれもご自愛くださいませ。

 上記の詩は、彼岸花を地底に住む人の花火に見立てた金子みすゞさんの詩です。お彼岸と言いますと彼岸花。今年もまた季節の訪れを教えてくれることでしょう。

 彼岸花は別名曼殊沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれます。「天上界の花」「赤い」という意味があり、赤い彼岸花はもとは曼殊沙華として日本に伝来してきたのかもしれません。

 曼殊沙華は仏教経典に出てくる言葉です。『妙法蓮華経』(浄土真宗ではお勤めすることはないのですが)というお経に「是時天雨曼陀羅華 摩訶曼陀羅華 曼殊沙華 摩訶曼殊沙華 而散仏上(天は大小の白い蔓陀羅華と、大小の赤い曼珠沙華の四華を、仏様の上に降らせ供養した)」と書かれています。とても尊いお花を表しているのです。

 一方で彼岸花は「毒花」としても知られています。土葬の時代、動物たちに掘り起こされることのないようお墓の周りに植えたり、水田をモグラに荒らされないよう畦道に植えたり、当時の人々は生活のために積極的に植えたのでしょう。

 にもかかわらず、鮮血を思わせる色彩からか「シビトバナ」、持ち帰ると「火事になる」「死人がでる」など根も葉もないことを言う人もあったようです。人はいつの時代も自分の都合で見え方を変えてしまうものなのでしょう。せっかく曼殊沙華という尊い名前があるのですから、仏教的な見方で彼岸花をあじわいたいものです。
 
 彼岸花の花言葉の一つに私の好きな言葉があります。

「また会う日を楽しみに」

 先立った方々を想いお念仏申しながら、「仏さまの世界(浄土)でお会いしましょうね。それまで精一杯生きてゆきます」そんな秋のお彼岸にしたいものですね。
 
 「秋彼岸法要」「門信徒のつどい」「永代経法要」、ぜひお参りお聴聞くださいませ。 合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年08月01日

Q、中陰のお参りって必要なの?

A,葬儀が終わり、四十九日を迎えるまでに七日ごとに勤めるお勤めのことを中陰(ちゅういん)と言います。ちなみに四十九日のことを満中陰と申します。

 北九州では葬儀当日に還骨法要に合わせ初七日を勤め
ることが慣例となっていますが、「初七日のあとは省略して次は四十九日でお願いします」とおっしゃる方もあります。何のために、誰のために中陰を勤めるのかが分かりにくいのでしょう。
 
 浄土真宗の中陰とは「亡き人を偲ぶご縁でもあり、亡き人が私のために命がけで結んでくださった尊い仏縁」といただいてゆきます。
 しかしそれ以上に「残されたご家族が亡き人をそばに感じ、少しずつ心の健康を取り戻してゆくための大切なプロセス」これこそが中陰の大きな意義だと私は考えています。
 
 事実、初めて中陰を勤めた方が「何のためか分からなかったのですが、毎週来ていただいて不思議と心が楽になってゆくんです。大切な時間だったのですね」とおっしゃってくださいます。

 常照寺ご門徒の皆さまには、それぞれにご事情はあるかと思いますが、残された方にこそ大切なのが中陰です。可能な範囲で勤めていただければと思います。

親鸞聖人 最後のお手紙

2018年07月01日

 6月18日午前7時58分、大阪府北部を震源とする震度六弱の大阪北部地震が起こりました。当日の情報だけでも死者四名・負傷者は三百名以上。大阪にいらっしゃるご家族やご友人と急いで連絡をとられた方も多かったのではないでしょうか。ここ北九州では過去大きな災害に見舞われることが少なかったため、日頃から災害への備えをなさっている方は少ないように感じますが、「もういつどこで何が起こってもおかしくない」、そう思われた方も多かったのではないでしょうか。
 
 北九州市ホームページによりますと、市内で想定される地震としては「活断層による地震」と「プレートによる地震」があるようです。
 平成二十四年の福岡県の調査によりますと北九州を通る小倉東断層・福智山断層帯による地震が起こった場合、最大震度六強、死傷者四千人以上と想定されています。またプレート境界の地震として南海トラフ巨大地震の発生が懸念されており、最大震度五強と想定されているようです。震度六強は「はわないと動くことができない、飛ばされることもある」ほどの揺れと書かれてあります。いざという時どのように行動しどこへ避難するのか、ご家族等で話し合っておくことが大切なのかもしれません。

 7月5日を迎えますと昨年の九州北部豪雨からちょうど一年になります。当日は私達九州臨床宗教師会(僧侶・牧師・神官が協力し活動を共にしています)も被災地の集会所にて追悼式を予定していますが、

 災害に関して今回ご紹介させていただきたいのは、現存する親鸞聖人の御消息(お手紙)中、年月日の明記されている最後のお手紙。聖人八十八歳(往生の二年前)の時のものです。関東のお弟子(乗信房)より京都の親鸞さまへ、飢饉・自然災害による関東の悲惨な状況が伝えられ、御消息の内容はそのお返事となっています。
「多くの方が亡くなられたこと、本当に悲しいことでした。しかし全ての生けるものが生死無常(明日どうなってもおかしくない)であることは、お釈迦様が詳しくお説きになっていること。今さら驚くべきことではありません。また、信心が定まっている人に死にざまは問題となりません。阿弥陀仏の信心をいただいたならば間違いなく浄土往生が定まるのですから」といった内容です。
 
 親鸞さまが仰ったのは「いつどうなってもおかしくないこの私が今こうして生きている、これほどの不思議があるだろうか」「お念仏しましょう。いつどんな形でこの命終えようとも必ず救ってくださる阿弥陀様がいてくださるのですから」ということでありましょう。

 このことを「今」聞いておくことも人生における大切な心の備えとなるのではないでしょうか。            合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年06月01日

Q、お鈴(おりん)は鳴らしてはいけないの?

A,皆さんのご家庭のお仏壇にも必ずお鈴はあると思います。お参りする時は「ちーん、ちーん」とまず鈴を鳴らして手を合わせる方は多いでしょう。
 しかし先日テレビ番組にて「お鈴は鳴らす必要はないのですよ」と放送があり、驚いたご門徒の方々からお尋ねがありました。

 実はお鈴とは読経の際に使うものなのです。お経のはじまり・区切り・終わりに鳴らすものなので、お経を読まないのであれば確かに鳴らす必要はないのです。お念珠を持ち、ろうそくに明かりを灯し、お線香に火をつけ、合掌・お念仏、これで結構です。

 しかしお鈴の音色とは心地良いものです。鳴らすことで気持ちが落ち着くという方もあるでしょう。私個人としましては「決して鳴らさないでください」とは申しませんが、真宗のご門徒であればお鈴よりも「お念仏」を大切になさってください。

 声に出してお念仏することは、仏さまや亡き人との会話(つながり)なのです。その「つながり」は、残されたご家族がこれからを生きてゆく大切な支えとなってくださることと思います。

かくれ念仏 ~薩摩藩の念仏禁制~

2018年05月01日

 大河ドラマ『西郷どん』の放送が始まり、十年前の『篤姫』以来、今再び鹿児島に注目が集まっています。鹿児島出身の私は、役者さん達の鹿児島弁の上手下手につい気をとられてしまいますが、主演の鈴木亮平さん、瑛太さん、北川景子さんはとても上手ですね。
 
 さて、皆さんは「隠れ念仏」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。当時薩摩藩や人吉藩では約三百年にわたり(薩摩藩では一五九七年~一八七六年)浄土真宗が弾圧されました。
 まさに西郷隆盛の生涯は念仏禁制の真っただ中、一八七七年に西南戦争に敗れ城山で切腹する前年まで続いたことになります。これは真宗門徒が中心となった加賀一向一揆や石山合戦の実情をうけ、真宗門徒が大名に恐れられたことが一因とも言われています。

 人吉藩では門徒の家から仏像・仏具が奪われ焼却。薩摩藩では真宗門徒だと分かると、「石抱き」といい三角の木材の上に正座させられ、幅三十センチ・長さ一メートル・厚さ十センチ、重さにして三十キロの石を一枚ずつ重ね体を揺さぶられ、足の骨が砕け絶命するほどまで拷問されました。また滝つぼに門徒を投げ込み、浮き上がってくると竹竿でつつき溺死させられました。これが薩摩三百年の歴史です。

 そんな過酷な状況の中、役人の目を逃れ山中の洞窟などにご本尊(阿弥陀如来さま)や親鸞聖人のご影像を安置し、命がけで念仏した方々がおられたのです(隠れ念仏)。
 
 当時はキリスト教も禁止され(一六一二年~一八七三年)、寺請制度により全ての人がお寺に所属させられていました。しかしそれによりお寺が権力を持ってしまい僧侶の怠慢につながり問題視されていました。そのため一八六八年に「廃仏毀釈」が行われ、寺という寺が破壊され神社に変えられたのです。薩摩藩では真宗寺院を含め一六一六ヵ寺が廃寺、二九六六人の僧侶が僧籍を失いました。

 しかし西南戦争後、実質的に念仏禁制がとかれ、仏教空白地域というべき状態の薩摩藩において、猛烈な布教を行ったのが浄土真宗でした。三百年の苦難の想いを爆発させ、鹿児島は維新前とは一変し浄土真宗一色となったのです。今後大河ドラマ『西郷どん』をご覧になる方は、「この時代の薩摩は浄土真宗の観点からみると大変過酷な時代だったんだな」という想いでご覧になっていただけるとまた違った見方ができるのかもしれません。
 
 常照寺では二~三年のうちに『常照寺鹿児島旅行』を計画予定です。ぜひご参加くださいませ。
合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年04月01日

Q、納骨って早い方がいいの?

A、時々ご質問いただくのですが、納骨する時期に決まりもなければ、日の良し悪しもありません。亡くなって四十九日を迎える際に納骨される方が多いような気はいたしますが、それにとらわれる必要はありません。
 
 大切な人を失った時、その人がいない人生を受け入れることは簡単なことではありません。長い時間も必要となります。遺骨だけが亡き人とのつながりと感じる方も少なくありません。そんな時急いで納骨してしまったためにかえって気持ちの整理がつかず、苦しんだ方もおられます。
 もちろんその逆も然り、いつまでも納骨できないために気持ちの整理がつきにくいということもあるでしょう。

 そう考えますと「喪主様とご家族のお気持ちが少し落ち着いたと実感できた時」が納骨の一番良いタイミングなのかもしれません。

 ご門徒の皆さまには、もし周囲に納骨の時期で悩んでおられる方がありましたら、ご自分の価値観を押し付けず、喪主様とご家族のお気持ちに寄り添ってアドバイスをしていただけたらと思います。

『効率的かつ質の高い医療提供体制の構築』 『地域包括ケアシステムの構築』

2018年03月01日

 平昌オリンピックも終わりました。羽生結弦選手の金メダルに心打たれた方も多かったのではないでしょうか。苦難に遇っても目標を持って努力を積み重ねることの大切さをあらためて教えていただいた気がします。 

 さて、上記の言葉はこれから国が目指す医療・介護の二本柱です。二〇二五年には団塊世代の方々が後期高齢者(七十五歳以上)に移行し、すでに超高齢社会(六十五歳以上の人口が総人口の二十一%超え)の日本では、国家財政がパンクし専門職も三十八万人が不足すると推定されています。

 そうなれば「入院患者が増えると急患が受け入れ拒否されるのではないか」「退院して在宅に帰りたいが往診医師が見つからないのではないか」「重度の介護度、一人暮らしや老夫婦だけになっても安心して暮らせるのか」「在宅で暮らせなくなった時、施設は十分にあるのか」「認知症になっても地域で生活を続けられるのか」など、不安を抱える方はすでにたくさんおられます。そこで国は上記の二本柱を掲げ「誰もが必要なサービスを受けられ、安心して地域で生活できる社会」を目指してはいます。

 しかし国が求める専門職の中に、心理士や私たち臨床宗教師のような「こころのケア専門職」は重視されていません。どれだけ設備や医療体制が整えられようと、人は必ず年をとり死を迎えます。同時にさまざまな苦悩を抱えます。「安心できる社会」は「安心して年をとることができ、安心して死を迎えられる社会」であって欲しいと願います。そのためには「じっくり話を聞いてくれる人」「想いを受けとめ、寄り添ってくれる人」が必要とされていると自身の臨床宗教師としての緩和ケア病棟での活動の中で、患者さん達から教えられています。

 昔は「悩みがあればお寺の住職さんに相談」という時代もありました。しかしこれからは「悩める方のもとへこちらが出向いてゆく」時代なのかもしれません。

 いつかどこの病院や施設に行っても当たり前にこころのケア専門職が常駐する社会になることを願いつつ、私も細々とではありますが活動を続けてゆきたいと思います。
合掌

くらしの中のギモン 〜聞きたいけど聞けないあんなことやこんなこと〜

2018年02月01日

Q、院号ってなあに?

A,浄土真宗の法名(戒名ではない)は「法名釋○○」と決まっています。釋(しゃく)はお釈迦さまの釈、「お釈迦様のお弟子になる」という意味があります。
  
 これだけでも仏教徒として立派なお名前なのですが、その法名の上に「○○院」という院号がつく方がおられます。
  
 そもそも仏さまをおまつりする所を「寺」というのに対し僧侶などの住む所を「院」と呼んできました。「院」とは元来建物を意味します。著名な僧侶は、その人が住む建物の名前で別名として「○○院さま」と呼ばれることが多かったのです。

 ですから「院号」とは、一寺をになうような有徳の僧侶、一寺を建立するほど仏教に貢献した人、寺の維持のため多くの寄進をした人につく称号だったのです。
  

 しかし浄土真宗の法名は「長い方が立派」というものではありません。大切なのは亡くなってから立派な院号や法名をもらうことよりも、仏さまに褒めていただけるような生き方を「今」出来ているかどうかでありましょう。
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